史跡探索
今日は寒く時折雪がパラついていたが、まあまあ天気が良かったので、市内へ史跡探訪に行った。
今日は、信長ゆかりの地をメインに。
市内の探索は、バイクでは小回りが効かないので、長女の自転車を借りて行った。
九条山を越えて、三条通を西へ走り、市内中心部へ。
まずは、烏丸御池のマンガミュージアム裏手にある、二条殿跡へ。
二条殿は二条良基の邸宅で,邸内にあった龍躍池の景観が美しかったようで、皇族や信長のお気に入りで、一時期信長が住んでいた邸だ。
本能寺の変の際には、信長の長男信忠が自害した場所である。
その少し西に、二条殿跡の御池があった場所にも石碑が立っている。
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二条殿跡の少し西には、妙覚寺があったそうだ。
妙覚寺は、本能寺の変の際、織田信忠が宿泊していたとされる寺で、押小路衣棚あたりにあったそうだ。
今は石碑なども残っておらず、町名が残っているだけになっている。
さらに押小路通を西に進むと、妙顕寺城跡がある。
小川通との交差点近くに、石碑と看板がある。
豊臣秀吉の妙顕寺城があった場所であり、聚楽第を建造するまでは、入洛の際にはここを宿地にしていたらしい。
小川通を南に下り、俺の母校の高校の裏手あたりで、蛸薬師通の角に本能寺跡の石碑がある。
今の本能寺は、寺町御池付近にあるが、当時の本能寺はこのあたりにあったそうだ。
本能寺跡の一角には、信長茶寮という施設もある。
入場料が必要だが、本能寺関連の展示物があるらしい。
そこから少し北へ走り、京都御所の西あたり。
平安女学院の一角に、旧二条城があったことを示す石碑がある。
本圀寺の変を機に、信長が足利義昭のために築いた城で、わずか2ヶ月余で完成させたらしい。
現在の二条城より少し東側に位置している。
さらに御所の中を突っ切って、母校の大学の横を走り、寺町通を北上すると、阿弥陀寺がある。
信長の墓は全国各地に多数存在するが、ここが信長の本廟らしい。
寺の奥に入っていくと、織田信長公本廟所という看板と石碑があり、信長と信忠親子の墓所がある。
その左横には、本能寺の変の際に、信長とともに討死した家臣たちの墓もある。
今日の散策はここまで。
帰りに、東山の若王子神社をお参りして帰宅。
3時間だけの史跡探索であったが、いままで気に留めずに通過していた場所も、新たな目で見られてよかった。
時間があれば、また行こ。
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