霊山
東北ツーリング2日目の昼ごろに寄った、霊山への登山の話
山としては大した高さではないが、南北朝時代に興味のある方には、言わずと知れた
北畠顕家で有名な史跡
霊山城があった山であり、
日本百景でもあるらしい。
《霊山城とは》-------------------------------------
霊山(りょうぜん)は、福島県伊達市と相馬市の境にある標高825mの岩山で、もともと天台宗
霊山寺があり栄えていた。
陸奥守北畠顕家は後醍醐天皇の皇子
義良親王(後の後村上天皇)を奉じて霊山に拠り、南朝再興を期して多賀城よりここへ国府を移し、伊達行朝、結城宗広ら奥羽地方の南朝方勢力と連携しながら戦った。
建武2年(1335年)12月22日、不平武士の総大将として反逆した足利尊氏を討つべく、義良親王を奉じて奥州軍5万を率いて
新田義貞の援軍に赴く。
翌建武3年(1336年)の1月2日、顕家は足利義詮と桃井直常が守る鎌倉を奪い、6日には遠江、12日には近江愛知川に着くと言う強行軍を行い、13日に坂本で新田・楠木両軍と合流していた。
北畠顕家の援軍を得た官軍は各地で足利軍を打ち負かし、ついには尊氏を九州へと追いやった。
このときの顕家の軍勢は、1日に平均40km弱も移動して600kmに及ぶ長距離を僅か半月で駆けており、後の羽柴秀吉の中国大返しを遥かに越える日本屈指の強行軍である。なんとこの時顕家は18歳だった。
その後いろいろあって北朝が勢いを盛り返し、顕家は延元3年/暦応元年(1338年)に北朝方に討ち取られた。享年21。
霊山城はその後も現地に残された南朝方将兵によって守備されていたが、貞和3年/正平2年(1347)に北朝側の総攻撃を受け、炎上、落城した。
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ざっと、こんなところか。
歴史好きの連れから話を聞くまでは、俺も存在すら知らなかったが、その後ネットで調べて概略をつかんでいたので、事前知識は少しは持っていた。
9月12日(水)
12:00 霊山登山口駐車場に到着
俺が来たときは、俺以外に車とバイクが6台くらいあった。
平日のど真ん中なので、登山客は少なめ。
感傷に浸る時間も惜しんで、早速準備開始。
アタックザックに必要な荷物を詰めて、バイクの陰に隠れて革パンツをトレッキングパンツに履き替え、ライディングブーツを登山靴に履き替えて準備完了。
「歴史ロマンあふれる山」の看板を見てると、当時の霊山城の規模がかなり大きいことがわかる
12:08 登山案内図を見て、コースを頭に入れて、念のために写真も撮ってから登山開始
城跡は最高所ではなく、最高所は城跡から少し離れた「東物見岩」らしい。
・
登り口からしばらくは舗装路
しばらく歩くと未舗装になり、最初はこんな感じの階段になる。
登山道は整備されていて歩きやすい。
12:27
宝寿台に到着
ここは少しはしごを登っていかなければならない。
宝寿台から見下ろす景色を見てると、なかなか見晴らしがいい。
登山している人に話を聞いていると、城跡より単にトレッキング目的の人が多いようだ。
宝寿台から3分くらいで
見下し岩がある
この岩の先は崖なので、こわくてこれ以上近づけない
時間の関係で、日暮岩のほうへは行かず、霊山城跡方向へ進む
途中、
天狗の相撲場という、平たい岩のある場所がある。
しかし、すぐ崖になっているので相撲をとったら危険だ。
12:48
護摩壇への分かれ道に到着。
護摩壇方向へ行くと景色がいいらしいが、時間が無いのでまっすぐ霊山城跡へ
国司舘跡
本城直下には礎石をもつ遺構敷地があり、「国司館」とよばれている。
本城及び国司館は、北畠顕家が多賀城から霊山城に移ったときに築営されたものらしい。
12:53
霊山城跡に到着
本城があった場所だ。
ここは少し広い平地になっている。
しかし、岩山の弱点だが、城としては全体的に平坦な場所が少なく居住性は良くなさそうだ。
一応到着記念写真を
史跡なので、霊山についての説明書きがある。
奥に
義良親王の石碑があった。
すぐ後から登ってきたおじさんに撮ってもらった。
城跡から5分くらい歩いたところに、霊山最高地点の
東物見岩がある。
三角点GET
頂上からの眺めは、木々が生い茂っていてイマイチだ。
ここで昼食のおにぎりを食べるつもりしていたが、狭い場所だったので、ここは眺めるだけにとどめる。
ここから下山になるが、時間の関係で最短距離のコースをとる。
仙人水という水溜りのような場所を通り、そのまま進むと、
登ってくるとき通った登山道に出る。
そこがちょうど天狗の相撲場だったので、そこで昼食のおにぎりを食べる。
ここも眺望は開けていない。
その後は、登ってきたコースを戻り、駐車場まで戻ってきたら、登る前は6台ほどあった車も全て帰った後だった
時間的に余裕が無かったので、あまりじっくりとは見られなかったが、北畠顕家の霊山城跡を見られて満足。
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